杉本会計事務所

代表コラム
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2023.04.30
Contributor:motoki

映画「生きる LIVING」鑑賞メモ

連休入りの今週末は遠出することなくゆったりと過ごし、近場のシネコンで映画鑑賞。遅ればせながら、ノーベル賞作家カズオ・イシグロ脚本の「生きる LIVING」を見て来ました。

この映画は、1952年制作の黒澤明監督の映画「生きる」のリメイク版であり、黒澤版も見ていたので、比較しながら楽しめた感じです。

今回はこの映画の内容を、引用も多いのですが、鑑賞メモとして整理してみました。

主人公は、書類に判子を押すだけの空虚な仕事を、30年無気力に繰り返して来た役所の管理職。

同居の息子夫婦にも疎まれつつ暮らすある日、がんによる余命宣告を受け、そこから改めて人生の意味を問い直します。

そして残りの人生で自分に何ができるかを模索し、役所に復帰して、自身もたらい回しに加担していた住民要望の公園建設を主導し、成し遂げるのです。

最期は、雪の降る夜にその公園のブランコで、思い出の歌を口ずさみながら一人息を引き取るという結末。

主人公を演じるのは、それぞれ志村喬(黒澤版)とビル・ナイ(リメイク版)。2人の名優が持ち味そのままに、愚直でどこか抑制された公務員を、正にはまり役といった感じで演じています。

余命宣告後の人生の問い直しは、偶然出会った見知らぬ小説家と夜の街を彷徨い、一時の放蕩に浸るところから始まりますが、それも虚しさが残るだけ。

残された人生を前向きに生きるきっかけとなったのは、自らの可能性を求め転職を目指す若き女性部下との再会でした。

彼女とささやかな時間を共有し、その奔放で率直な生き方とバイタリティに惹かれ共感したことで、主人公は変貌します(残念ながら、老いらくの恋には発展しませんでしたが)。

彼の公園建設に至るまでの意思と行動には、死を意識した人間の生に立ち向かう力強さ、そして凄みを感じました。

上記の展開は黒澤版と基本的に同じです。

リメイク版が異なるのは、葬儀の場面がより簡潔で、キーパーソンの女性部下が参列すること、彼女の役所同僚だった若手男性との爽やかなラブストーリーが盛り込まれたこと、そしてその若手男性の役回りに意味を持たせていること、などでしょうか。

こうした違いは、リメイク版としての新規性と洗練性、そして今この映画を見る価値観の異なる現代世代への訴求を意図してるのかも知れません。

この映画のメイン・メッセージは、下記3人のコメントそれぞれに示されており、私も映画を見た一人として、どれも違和感なく、自分なりに感じ取ることができたと思っています。

(監督:オリヴァ―・ハーマナス)
「これは死が生を肯定する、現代に伝えるべき重要な物語。我々は日々携帯電話を見ながら、ある種散漫な状態で、未来を見ながら生きている。一歩下がって、自分の人生に実際いま存在することの意味を考えるのは興味深いこと」

(脚本:カズオ・イシグロ)
「私が『生きる』に強く惹かれたのは、自分自身にとっての勝利の感覚を持つことが大切だというメッセージ。それはとても質素なものかも知れないが、少しだけ自分を超えること。誰にも認識されないかも知れないが、自分にとっては大切なこと」

(主演:ビル・ナイ)
「この映画は、私たちが死とどう向き合うか、与えられた時間をどう尊重するかを描いている。ごく普通の窮屈な存在である人が、消滅を目の前にした時に何をするかを見る機会でもある。彼が発見したのは、自分の人生に意味を与えるものは、誰かのために何かをすること」

最新の映像技術と度肝を抜くアクションで魅せるエンタメ映画も楽しめますが、「生きる」・「生きる LIVING」のように、派手さはなくとも胸の深いところにずしんと来る骨太の映画も、やはりいいものです。

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